2008年6月8日
自家用車でもバイクでも一度も行った事のない稚内・道北ツーリングに初挑戦
6月上旬となると、ツーリングシーズンとしてはちょっと早い。
まだ道外ライダーの姿も殆ど見かけないだろうから、ちょっとさみしいツーリングにはなってしまうか。
7月はどうしても道東方面に行ってしまうので、あえてこの時期を選んでしまった。
何故、道北?
実兄も元はバイク乗りで、以前サロベツ原野を海岸に沿って一直線に延びるR106の事を話してくれた事がある。
果てしなく続く直線道路と海に浮かぶ利尻富士の姿。。。
その時の感動を語ってくれた事が脳裏に焼きついていて、一度は行ってみたいと思っていた。
朝4時30分自宅を出発。
相変らす、あきれるほどの早朝出発だ。
苫小牧からR234を通り、岩見沢へ。さらに、月形からR275に乗り北上する。
8時15分 道の駅サンフラワー北竜で休憩。
一度GSで給油したくらいで、ここまで殆どノンストップだ。
道の駅入り口に2頭の竜が構えている「北竜門」があった。
門の上に登る事ができるようになっていたので、上がって竜の首のアップを1枚。
9時30分 留萌市鬼鹿にある道の駅「おびら鰊番屋」に到着
ここに来るまではそこそこの天気だったのだが、だんだんとドンヨリとした雲が広がってきた。
旧網元 花田家番屋跡
鰊漁が全盛だった昭和30年代までは、立派な「鰊御殿」がいくつも建っていた。
この旧花田家番屋は平成13年に北海道遺産に登録されたそうだ。
脱穀機
昔、我が家にも残っていた。
当時、すでに稲の脱穀には使われていなかったが、家畜に与える飼料の燕麦(えんばく)の脱穀に使って思い出した。
燕麦と言っても、意味が通じる人はほどんどいないだろうが。。。(笑)
オロロンライン北上
R232オロロンラインを稚内に向かってひたすら北上する。
今回のツーリングで最も期待していたい直線道路から見える利尻富士も、濃霧のために全くみえない。
オトンルイ風力発電の風車も、霧の中から突然姿を現してそびえ立っている感じで、なんとなく不気味というか、異様な感じがした。
晴れていればキレイなんだろうが、残念。
12時15分 抜海手前から内陸に入り「兜沼公園キャンプ場」を視察。
郷のキャンプ地はここ兜沼にするか、稚内森林公園にするか決めかねていたので、まず現地調査のため立ち寄った。
施設、ロケーションともに中々よさそうだが、さすがにこの時期、誰ひとり姿を見かけない。
あまりにもさみしそうなので今回はパスすることにし、稚内森林公園に決定。
稚内到着
途中で昼食を済ませ、13時50分 本日のキャンプ地である稚内森林公園キャンプ場に到着。
途中墓場のすぐ横を通るので、それがイヤだと言う声も聞くが、私はそんな事は全く気にしない方だ。
ここも利用者は少ない。広いサイトにテントは2~3張あるだけだ。
テントを張り終えて、ノシャップ岬見物と温泉入浴へ。
市街地へ降りる道の途中に「氷雪の門」があった。
かつて日本領土だった樺太で亡くなった人の慰霊碑として1963年に建てられたそうだ。
マイカーの観光客が数人記念撮影をしていた。
ノシャップ岬灯台
ここは大きな土産店や食堂などもあり、少し賑わっていた。
天気が良ければここの広場からも利尻島(利尻富士)が見えるのだが、生憎の天候だ。
岬を境に稚内市街の裏側に稚内温泉童夢(どーむ)がある。
ひろびろとした浴室とこぢんまりとした露天風呂があった。
もちろん、天気がよければ露天風呂からは利尻島が見えるようになっている。
気温の低い中を走り続けために冷え切った体を温泉で温め、市街地で食糧を買い求めてキャンプ場に戻る。
備え付けのテーブルでお湯を沸かしてコーヒーを飲んでいると、近くにテントを張っていた60代の男性が話しかけてきた。
確か神奈川県からきてツーリングをしていると言っていた(ちょっと記憶が怪しいが)
W650に乗っていたが、家族が年齢の事を考えて心配して「もう止めて」と反対しているので、今回が最後のツーリングになるそうだ。
でも、まだまだ体力もありそうなので無理をしない程度に続けて欲しいと思った。
「自分はいつまでバイクに乗れるのだろうか?」と、思いが頭の中をよぎる。
2008年6月9日
天候は曇り
昨夜はテントも飛びそうなくらい激しい突風が吹き荒れたこともあり、あまりよく眠れていない。
撤収し宗谷岬に向かう。
宗谷岬
6時40分 初めての日本最北端
広い駐車場には乗用車が2~3台。
一応記念碑前で記念撮影
駐車場浦の高台にあがってみる。
晴れていれば、ここから旧日本領の樺太が見えるのだが。
大岬旧海軍望楼
高台の上に建てられた石造りの古い建造物は、明治時代ロシアとの緊張が高まる中、旧日本軍が宗谷岬の監視を行うために設置したものだそうだ。
螺旋階段がとりつけられ、屋上に上がることが出来た。
宗谷岬を眺めたあと、小雨の降る中オロロンラインを南下し、自宅に戻る。
この当時は、道北の情報も持ち合わせておらず、北防波堤や宗谷丘陵の存在すら知らなかった。
1泊往復約1000キロの旅、寒さと寝不足から来る疲れだろうか、翌日はめまいでフラフラになりながら仕事をしてたのを憶えている。
一番目標の澄み渡った空の下の利尻富士も見る事ができず、リベンジを心に誓う。