またまた過去ツーのレポを書くことにした。
最近は他のテーマのブログは一旦お休みにして、バイクライフの過去ツーをひたすらアップしている。
そろそろバイクに乗るシーズンが本格的になってくるので、早いとこやっつけてしまわないと、溜まる一方になるから頑張っている。
とは言え、10年以上も前の話となると、かなり記憶があやしい。どこでどんなライダーと話をしたか?なんてかなり忘れている。
それに、この頃まではあんまりエピソードなんてものもなかったので、のりカラ君のような笑える話題もないね。
少しはましになってくるのは2004年位からか?まあ、とりあえず自分の過去の整理のつもりで始めるとする。
2001年7月5日
毎年この時期になるとまとまった休暇を取り、ツーリングに出かけるようになった。
上司はすでに解散しているアメリカのるロックグループにはまっており、まとめて年休を取って毎年アメリカに行っている人で、バイクには乗らないが、趣味に対しては非常に理解のある人だったので、その点は非常にありがたかった。
今回もまた、自分にとては未開の地、道東方面に予定ルートを組んだ。
「よしっ!知床まで行ってみよう!」
苫小牧から早来~追分~夕張~福山峠~日高と、これもまた初めてのルートを走る。
途中、夕張川沿いに竜仙峡とか紅葉山と名付けられた場所があるが、その名の通り「紅葉シーズンにはきっときれいなんだろうな」と、思うが今は夏、これと言った感慨もなく、通り過ぎる。
道の駅「樹海ロード日高」でいつも通り、休憩をする。
何人かのライダーが休憩しており、この時も確か若い本州ライダーと話をしたはずだが、記憶&記録が残っていない。
今回もスッキリしない日勝峠を越え、十勝清水から鹿追を抜け、R274をいよいよここからは初めての瓜幕から士幌へ抜ける道に突入。
後のツーレポで紹介するが、ここは緩やかなアップダウンのある15km続く一直線道路。遠く前方から見え隠れしながら近づいてkるバイクの様子が、なかなか印象的であり、また、周囲は広々とした牧場の風景がずーと続き、青い空のした疾走すると本当に気持ちがいいのだが、、、、
あいにく今回は天気がわるいそれどころかガスがかかって右も左も前も後もぜ~んぶグレー一色。(_ _ ) 。。。
まあ、この先に期待しましょ。
道の駅「足寄湖」
士幌町、芽登(めとう)を過ぎ、足寄湖(ダム)横にある道の駅で休憩。
いつも思うのだが、人間の作ったもの「人造湖(ダム)」はどれをみてもあんまりきれいではないなと思う。自然の力にはかなわない。
施設内には、チーズ工房や売店、レストランなどがあった。
カップルで走っているライダーと少し話をした。
いや~。ホントに何を話した全く覚えていない。
せいぜい、「どっから来たの?」「ふ~ん。どこ行くの?」くらいか。。。
足寄市街をすぎ、R241を阿寒方面へ走る。あまりスッキリした空ではなかったが、途中から雄阿寒岳と阿寒富士の姿が見え、ちょっと感動。
阿寒の温泉街を過ぎ、阿寒横断道路へ突入、急こう配、急カーブの厳しい道が続く。
まだまだ、未熟なライダーの私にとって、荷物満載でこの道を走りぬけるのはかなりのプレッシャーだった。
おまけにガスやら雨やらで見通しも非常に悪い。時折左側に見え隠れする奈落の底。。
「オッカネー!!!」
やっとの思いで横断道を過ぎ、弟子屈に辿りついた。
完全の雨交じりの空だ。。。
とりあえず、今日の寝ぐらを設置しなきゃ。。
コタン側から屈斜路湖に入り、仁伏(にぶし)のオートキャンプ屈斜路にテントを張る。
ここは民間のキャンプ場で、砂湯のように観光スポットでもないので、周囲には温泉が1件あるほかは、小さな管理棟以外なにもなかった。
当時の道内バイクの情報誌「DoBike」やキャンプ場ガイドなどを見てここに決めたが、期待していたライダーが集まるキャンプ場ではなかった。
結局、ライダーでテントを張っているのは翌日まで私一人だけであった。
テントは張り放題、ガラ空き状態。1日目は湖畔側にテントを張ったが、やや凸凹があったので、2日目は内側の平らな所に移動した。
この後、食糧の確保と冷えた体を温めるため、川湯方面に入浴と買いだしにでた。
意地悪く、一層激しくなる雨の中、温泉街にある銭湯(公共温泉)に入浴する。入浴料はたしか200円だったような??(安い!)
カッパは着ているものの、全身ずぶ濡れ状態で玄関に入り、しずくをポタポタ垂らしながら、そこでカッパを脱ぐ。
番台に座っている女性の目線がイタイ。。。「ごめんヨー。これでも気つかってんだから。。」
2001年7月6日
翌朝、幾分天候が回復し。時折雲の切れ間から青空が見えている。
周辺を走るがどうやら屈斜路湖周辺だけが、ちょっと天気が良いようだ。
この後、ツーリングで何度も屈斜路湖を来ることになるが、そこでわかったのは、ここだけ周りと天候が違う事が多いってことだ。
周りが雨でもここだけ晴れている事はよくあった。
とりあえず、砂湯を見に行く。
7月初旬、夏休み前ともあって、観光客は少ない。
四角に砂を掘ったところに温泉が湧いていた。手を入れてみるとやけどしそうな位あつかった。
「こんなの入れるわけないだろう?」おまけに観光客がわんさかくるど真ん中。
本気で入浴するなら、横のキャンプ場で自分で穴を掘って浴槽をつくって入る事のようだ。
続いて、和琴半島に行ってみる。
半島の根元にも三日月形をした無料の公共露天風呂がある。
一応脱衣所はあるものの、日中は見物客が多すぎてちょっと入れないな。
半島の先にも無料の公共温泉や天然の露天風呂がある。
温泉を見に、散策路をあるているとエゾリスを発見。久しぶりにエゾリスを見た。
途中でスーパーカブに乗っている若い道外ライダーと合流し話しながら道を進める。
湖畔に石を囲った露天風呂を発見。若いライダーは早速、服を脱いで入浴しだした。
「サイコー!気持ちいい!」と感激を全身で表わす兄ちゃん。
私は、入るのはやめておいて、若いライダーとお別れをした。
散策路を引き返すと、湖畔に小屋を発見。
無人、無料、混浴の和琴半島公共温泉だ。
中に入ってみるとだれもいなかった。
四角湯船がひとつだけある。
湯船の底から源泉が湧き出ており、手を入れてみるとかなり熱い。露天風呂もそうだが、温度調整は流れ出るお湯を土嚢などでせき止め、上からの水圧で湧き出るペースを抑えることによって適温に保つようになっている。
川湯温泉駅方面から連続コーナーの続くR52を走り、摩周湖に向かう。
生まれて初めて見る摩周湖の眺めだが、俗に言う「霧の摩周湖」の名の通り、大半が切りに覆われ、一部霧の晴れているところから湖面が見えた。
翌年以降も何度か眺めに訪れるが、本当に晴れた摩周湖を眺める事ができたのは、2008年の夏以降になってしまった。
テントに戻り、キャンプ場のすぐ横にあるクアハウス屈斜路湖(2008年に閉館してしまった)で温泉に入る。
2001年7月7日
今日はいよいよ知床方面へ!
・・・なのだが、また夜中からずっと雨が降っている。
天候の恵まれない状態にストレスを感じながらも、このままここでじーっとしているのも面白くないので、雨の中撤収作業を済ませ出発する。
川湯からR391を走り、野上峠を越えて途中R1115から斜里方面へ進む。
斜里に入ったころから風も強くなり、気温も一層低下し、途中で見かけた温度計の表示は11度。
この当時の雨対策もまだ完全ではなく、一応多少の防水性のあるライダージャケットの上に、1万円位で買ったアウトドア用のレインスーツを着ているが、風雨には耐えきれず何となく中で浸み込んできている。
斜里のGSで給油をし、スタンドのスタッフと会話を交わす。
「今日は特別寒いねー。でも、こっちの方は7月と言っても時々こんな日はあるよ。」
「知床行くって?ここから先はもっとひどいよ。今日はやめといた方がいいよ。」
「やっぱりダメだよなー。」その言葉を聞いて、知床行きは断念することにした。
方向を変え、網走方面へ向かうことにした。
途中突風にあおられ、あわや対向してきたダンプに接触するところだった。
網走が近づくにつれ、青空も見え始め気温もいくらか上がってきている。
博物館網走監獄
マップとにらめっこしながら、博物館網走監獄に到着。
入口で見物にきているおばちゃん達が写真を撮ってくれた。
明治時代から実際に使われた刑務所の建物を移築し、保存公開している。
建物は放射状になっており、中心から全ての監房の様子が監視できる特徴のある構造になっていた。
これは、道路を作る労働にかりだされた囚人が、現地で寝る宿舎を再現したもの。
真中で寝ているのが私です。。。うそ。
寒さと、ヒグマに襲われる恐怖に耐えながらねていたようだ。
ゴムタイヤをつけた荷馬車
実は子供のころ実家にもあり、その時は「ホドウシャ」と呼んでいた。
イネなど農作物などを積んで運ぶもので、馬に曳かせていた。
このほかに、脱穀に使う唐箕(とうみ)など自分にとっては、珍しいではなく、懐かしいものばかり多数展示されていた。
美幌峠
網走を抜け、女満別(現在、大空町)から美幌町に入り、R243を通って美幌峠に上る。
まだ雲はかかってはいるものの、屈斜路湖を見下ろす事が出来た。
ここからの眺めも、後々のツーリングではしっかり堪能できたのだが、この時はこんなもので終わった。
弟子屈側に降り、多少の強行軍だが富良野まで一気に走ることにした。
それでも、来る時一気に通り過ぎてしまったとは、阿寒湖はどんなところだろうか?
ちょっと寄り道をして、中心街を走ってみる。もちろん決まってホテルとみやげ物店が立ち並んでいるが、なんとなく雰囲気がよく感じられない。
山のど真ん中、観光以外にこれといった産業もないためか、何かがつがつしている気がするのは、私だけだろうか?
早々阿寒を跡にする。
足寄、士幌と走り鹿追からまた日照峠を越える。
本来、近道するなら鹿追から新得に出て狩勝峠を越え、南富良野に出るのが近道なのだろうが、この時はその認識が無く、日高に出てから北上するルートを選んでしまった。
この年からオートキャンプ場が完成し、それと同時にフリーサイトも有料となった。
1人500円の料金がかかる。
しかし、ロケーションのよさ、便利さ、施設のよさ、おまけにスタッフの人柄の良さ。
そんな事を総合して考えると、500円なんて安いものだ。
実際に有料になってからも、ライダーは多く利用しているし、私も毎年2~3回は必ず利用する常連となってしまった。
そのおかげで、すっかりスタッフの人とも仲良くなり、毎年年賀状までいただくようになった。
この日はこの後何をしていただろうか?全く記憶がございません。
夜中に、公園の頂上にある展望台がライトアップされている眺めが気に入って1枚写真を撮った事だけが覚えている(というか、写真が残っていたからなのだが・・・・)
2001年7月8日
翌7月8日も天候がスッキリせず、朝から時折小雨が降る。
せっかく来たのだから、と思い周辺を少し走る。
「ナカフはどうなっているだろうか?ライダーはいるかな?」
そう思いながら、中富良野森林公園キャンプ場まで行ってみる。
と、面白いスクーターを発見!
ハンドルの上に鹿の角をつけ、旗やら何やら色んな飾りをつけている。
「介助犬育成募金」「愛犬ジローと日本5周目」などと書かれており、日本一周募金ツアー都の事。残念ながら本人に会う事はできなかった。
バイクも10数台駐車している。
駐車場で話をしているライダーに見覚えの顔があった。
昨年日の出公園で出会った数人のグループの中の若者とユッコと呼ばれる女の子だった。
1年ぶりに会えたうれしさで、話かけた。
が、向こうはあまり覚えていないらしい。
あまりしつこく話をしてもしょうがないので、その辺でやめておいた。「そりゃそうか。向こうは2カ月くらいかけて道内を周っているライダーだ、憶えていないのも仕方ないさ」、そう割り切ることにした。
2001年7月9日
7月9日は朝から快晴となった。
しかし、皮肉な事に今日はもう帰る日だ。
あまり時間はなかったが、これまでこんな天気にも恵まれた事もないし、せっかく来たので美瑛周辺を走る事にした。
さすがに天気が良い事もあり、多くのライダーとすれ違う。
美瑛の見所もよく知らないこの頃、とりあえずかんのファームに立ち寄ったあと、ケン&メリーの木を眺めに行く。
多くの観光客があつまっていた。
あとはどうしたか憶えていないので、2001年夏のツーレポはこの辺で。